六代目・三遊亭圓楽

#笑点王


落語家・三遊亭圓楽師匠が、2日前、2022年9月30日逝去
今年の初めに脳梗塞で倒れながらもリハビリを重ね、夏に高座に復帰した
ばかり。死因は肺炎。享年72

僕らの代は『三遊亭楽太郎』という名前の方が馴染み深い。
先代の圓楽師匠の弟子として笑点にスポットで登場した時からそのセンス
は群を抜いており、唸ってしまう大喜利回答を連発して魅せる。幼き頃の
僕に「上手い!」という感情を植え付けたのは、間違い無く若き日の圓楽
師匠であった。

そして僕らが大きく感謝しなければならないのは、プロレス大きな影響
を与えてくれたこと。同級生だった天龍さんとの縁をキッカケにプロレス
に関わり、ウルティモ・ドラゴンが闘龍門を作った時には大いに助言を授
けたという。もし円楽師匠が関わっていなかったら、CIMAというカリスマ
はこの世に存在しなかったかもしれない。

今は亡き歌丸師匠との掛け合いは芸術の域。笑点という番組の【王】とし
て居続けるべき人であっただけに、今の「不在」が信じられないしピンと
来ない。寂しいとか悲しいとかの感情を超え、未だにボォ〜っとしている。

あの時、「ジジイ、早すぎるよ!」って言ってましたよね、師匠。
そんなアナタが、あの人より若い年齢で追いかけてどうするんですか?
申し訳ないけど責任を取っていただきます。僕ももうすぐ行くので、向こ
うで歌丸師匠と打ち合わせしておいてください。

だから絶対に、絶対に、絶対に、また必ずどこかで。
・・・辛すぎるよ、この一週間。

Olivia Newton-John

#XANADOU


2022年8月8日、歌手のオリビア・ニュートン=ジョンさんが永眠
家族や友人に見守られながらの安らかな最期だったらしい。享年73

とにかく、チャーミングステキな歌手だった。
ジョン・トラボルタと『グリース』で共演した時は最高のアイドルだっ
たし、その後年齢を重ねても、美しさは全く衰えない。歌は天井知らず
で上手くなり、名曲を幾つも残した偉大なシンガーだった。

先日仕事中にオリビアの話題になり、友人に「オリビアでいちばん好き
な曲ってなに?」と聞いたら、「ザナドゥです!」と即答された。一瞬、
短絡的かなぁ、と思ったけど、考えてみればそれが最適解だった気が。

最高の歌を届けてくれて、本当にありがとう。
しばらくゆっくり休んでください。そして、また必ずどこかで。

伏魔殿のポリスマン

#JUDO


米国『グラップリング・マスター』と称される元プロレスラー・柔道家
“JUDO”ジン・ラベール氏が逝去。享年89の大往生。

UFCに出場したロンダ・ラウジーコーチとして有名になったが、古く
からのプロレスファンなら誰でもその名前を知っている【顔役】

かつてマイク・ラベールがプロモートしたLANWA HOLLYWOOD
ポリスマンであり、バックボーンである柔道の腕前は五輪レベル
旧オリンピックオーデトリアムでは、ジンに逆らう選手は皆無だったと
いうまことしやかなウワサが。

日本との繋がりも深く、旗揚げ直後の新日本プロレスと提携し、ハリウ
ッド・ブロンドス等の渋めのレスラーをブッキング。そして何よりも、
伝説の『猪木vsアリ』レフェリーを務めた事実は、その後彼の名前を
世界的なモノにした。

力道山時代から【伏魔殿】と称されたロスマット
しかし、新日本・WWEを含む現在のメジャーと呼ばれる団体はある意味
ロスマットの拡大解釈。良い意味での胡散臭さが溢れているので、今改
めて各種文献を読み返すと本当に興味深い。そういう団体で、言うこと
を聞かない選手・・・マスカラスも含まれていたとか・・・を実力で従わせる、
というのが恐ろしい。

その実績に感謝しつつ、謹んでご冥福をお祈りいたします。

ちなみに、ジンのフルネームを英語で書くと『Gene LeBell』となる。
この名字を「ラベール」と読むか、「ラーベル」と読むかが悩ましい
ところ(^^;)。個人的にはラベールの方がしっくり来るんだけど。

“館長” 青柳政司

#誠心会館


初期のFMW新日本プロレスプロレスリング・ノア等で活躍していた
空手家・プロレスラー青柳政司さんが永眠。死因は今のところ明らかに
されていない。享年65

現役プロレスラーとして活動中だった故人に敬意を表し、ここからは敬称
を略させていただきます。

・・・館長『日本人同士の異種格闘技戦』という概念を作った人。
もし館長が空手家として大仁田厚の前に立たなければ、後のFMWブーム
あり得なかったし、その後新日本に参戦してくれていなければ、越中詩郎
の再ブレイクも無かった、と断言出来る。

そして青柳政司は、誰よりもプロレスが好きだった・・・気がする。
自分より一回り身体の大きい選手に蹴り突きだけで果敢に挑み、気持ち
いいくらい鮮やかに玉砕する。プロレスの歴史を鑑みると、空手家は基本
「敵」でしか無かったが、青柳政司本人と、館長が率いる誠心会館が排出
した選手たちは、最初からしっかり“プロレスラー”だった。

館長の最大の功績は、プロレスのリングに「独特な緊張感」を持ち込んで
くれたこと。自信の技術を信じ、その上でプロレスとプロレスラーをリス
ペクトし、真っ向勝負で相手の技から逃げない空手家。こんな選手を、
好きにならないワケが無い

館長、ちょっとだけ早いです・・・。
まだまだリングで闘う館長の姿を観ていたかった。少しだけ休んで、また
強烈な蹴りを魅せてください。だからまた必ず、どこかで。

Ryuhei Ueshima

#コント


高校生の頃の話。
日本のパンク・インディーズに完全に傾倒していた僕は、その枠をサブカル全般
まで拡げていた。定期購読している雑誌は宝島、通うレコード屋は六本木WAVE
そして、毎週欠かさず観るテレビ番組は冗談画報だった。

その冗談画報のプログラムに、見慣れない異様な風貌の4人組が。
YAZのリズムに乗せて裸同然妙な事を叫び、とんでもなくシンプルかつシュー
なネタを矢継ぎ早に繰り返す。客席四方に散り、全員で「通りゃんせ」を歌う
『スクランブル交差点の真ん中にいる感覚』には、正直度肝を抜かれた
それまで観たことのない新しいコント。彼らはダチョウ倶楽部と名乗っていた。

以降、テレビでバラエティを観る度に、ダチョウ倶楽部のメンバーを見掛けるよ
うになっていく。人数は1人減って3人になり、かつてのようなラジカルさは無く
なっていたが、それでも身体を張りまくる姿に爆笑。時間が経過するにつれ、1人
肉料理筋肉専門家に、1人は森本レオの兄弟分に、そしてもう1人はいつ如
何なる時も熱湯に飛び込む、という唯一無二とも言える立ち位置を獲得。いつの
まにか、茶の間になくてはならないグループとなっていた。

・・・上島竜兵
リアクション芸というそれまで誰もやらなかった分野を開拓し、続々とフォロワ
を産み出した。大仁田厚のモノマネをやり始めた時は呆気に取られたし、出川
哲朗との鉄板と言って過言の無い絡みは、バラエティ界の宝だと思う。

だから、あなたは居なくなってはならない偉人なハズ。
何があったのかは解らないし、どんな辛い思いをしていたのかも解らない。
でも、あなたが居なくなったことで、どれだけの人たちが悲しく寂しいか・・・。

だから、冥福は祈りません。
どこかで必ず、どうしてこうなったのかを説明してもらいたい。その結果は、
きっと大笑い出来る些細なこと、と信じています。

だからまた必ず、どこかで。