Mr.TADASHI “KO” SAWAMURA

#キックの鬼


昭和40年代、代名詞となった「真空飛び膝蹴り」で一世を風靡し、日本に
キックボクシングブームを巻き起こしたキックボクシング元東洋2階級覇者
沢村忠氏が、千葉県内の病院で死去。死因は肺癌。享年78

異名「キックの鬼」
僕は沢村さんの全盛期にはまだ物心が付いておらず、アニメになってそれが
30%以上の視聴率を叩き出す程になった第一次キックブームを知らない。
意識してキックボクシングの試合を観るようになったのは藤原敏夫ベニー
・ユキーデの頃で、その頃沢村さんは既にリングを降りていた。が、藤原が
どんなに良い試合をしても、引き合いに出されるのは必ず「沢村忠」という
伝説。もちろんコレに興味津々だった僕は、ビデオで何度も沢村さんの試合
を確認した。

沢村忠の試合は、殆どが【WORK】であった、という説がある。
映像を確認すると、確かに試合が「派手」。今のキックの試合では殆ど成功
しない飛び膝蹴りが悉く決まるし、なんならドロップキックで決まる試合ま
であった。しかも、全盛期の平均試合数は年間20(!)。僕は競技者で無い
からなんとも言えないが、今のK-1等と比較すればあり得ない状況ではある。

ただ、WORK云々はともかく、沢村さんの試合はどれも面白かった
身体を見れば練習を怠っていないことは明白だし、おおよその試合で派手な
技を決める前の展開をしっかり構築している。今の武尊天心が持っている
ものと同じ「才能」が、この人には確実にあった。それだけは紛れもない事
実であると思う。

引退後、殆ど表に出ない、という生き方もカッコよかった。
願わくば藤原との闘いを観たかったけど、その楽しみは次に取っておく。

だから必ずまた、どこかで。
その時は試合をしている「キックの鬼」の姿を魅せてください。

LEON SPINKS

#NEON LEON #THE JUNK


WBA・WBC統一世界ヘビー級王者レオン・スピンクス氏が、2月5日
に死去。死因は明らかでは無いが、前立腺癌でかねてより闘病中であった。
享年67

故人に敬意を表し、以下敬称略で記載します。

モントリオール五輪金メダリストであり、プロでの世界王座獲得はあの
モハメド・アリを破ってのモノ。本来なら『伝説』の位置に居てもおかし
くない実績なのにも関わらず、ボクシングから退いた頃の生活は荒れ、一
時はホームレスにまで身を落としたという。

↑↑このアリ戦も「世紀の番狂わせ」と形容された。
確かにアリの動きは鈍く、後日アリ本人も練習不足であったことを認めて
いるが、実はスピンクスの攻めもなかなかのモノ。フロックであったこと
は間違いないと思うが、ラッキーだけでアリに勝つことは出来ない

そんなスピンクスを何故僕らが覚えているのかというと、アントニオ猪木
の対戦相手としてプロレスのリングに上がったから。あの試合は正直酷い
内容だったが、スピンクスは意外なカタチで日本のプロレスと関わりを持
ち続けることになる。

なんとFMWに参戦し、大仁田厚金網デスマッチで対戦する、という、
あまりにトリッキーな復活。しかも、通常のシリーズに全戦参加し、いわ
ゆる「ドサ回り」までこなした。この時期のFMW、僕は何度も会場で観て
いたのだが、この時のスピンクスは動きも良く、プロレスラーとしてしっ
かり成立。ボクシング出身のプロレスラーとしては、今もNO.1だと思う。

ボクシングの元世界王者でありながら、そのジャンクっぷりが際立つ、
あまりに見事な生き様だった。次の機会が出来れば、今度はスピンクスの
ちゃんとしたボクシングの試合が観たい。

だからまた必ず、どこかで。

Hank Aaron

#HOME RUN KING


メジャーリーグで活躍した往年のスーパースターハンク・アーロン氏が
逝去。死因は公表されていないが、重度の脳卒中を起こした模様。享年86

子ども向けの伝記が出ていたベーブ・ルースと共に、我々の世代にとって
伝説のホームラン王だったのがハンク・アーロン。我らが英雄・王貞治
目指した世界記録がアーロンの持つ【755本】であり、王さんが756号
打った時は大袈裟で無く日本中が祭り状態になったことを覚えている。

残念ながら現役時代の勇姿を拝むことは叶わなかったが、メジャーリーガ
ーの偉大さを教えてくれた最高の選手に敬意を表して。
どうか、安らかに。

Danny Hodge

#鳥人 #Dynamite


2020年12月24日、米国オクラホマ州ペリーにて、ダニー・ホッジ
が逝去。「鳥人」の異名を取った元NWA世界ジュニアヘビー級王者で、
その実力はオールタイムで「最強」と表された強豪中の強豪。享年88

最後までプロレスラーとして生きたホッジさんに敬意を表し、以下は
敬称略とさせていただきます。

・・・2008年、伝説の興行「プロレス・エキスポ」の立会人として最後の
来日。ほぼ最悪のイベントだったのだが、ホッジが姿を見せただけで僕
の中でチャラ。その姿にはなんとも言えない威圧感があった。

ずっと後悔しているのは、2005年来日時のトークショーを観に行けな
かったこと。あれが最後の機会だ、という予感はあったのだが・・・。

以前にも書いたが、僕は全盛期のダニー・ホッジを生で観たことが無い。
それでも強烈に憧れたのは、ホッジの「最強」という伝説。もしホッジ
の全盛期にMMAがあったら・・・と考えると、更に大きな伝説になったハズ。

最後の伝説が居場所を変えた。
おそらく次の場所ではその最強ぶりを如何無く発揮すると思う。
もし僕が同じ場所に行けるのなら、その時は必ずこの目に焼き付けたい。
また必ず、どこかで。

「矢口高雄」という才能

#釣りの伝道師


漫画家矢口高雄さんが、20日に亡くなっていたことが明らかになった。
今年5月に膵臓癌が見つかり、半年にわたって闘病していた模様。享年81

代表作の「釣りキチ三平」は、間違いなく僕らのバイブルだった。
もしあの時代に三平の連載が無かったら、僕は長い間釣りを趣味にしてい
たとは思えない。そのくらい三平で描かれる世界は刺激的であり、幼い頃
の僕を完全に魅了した。

・・・以降、一部敬称略とさせていただきます。
釣りキチ三平は少年マガジンで連載されていたマンガだが、その「自然」
の描き方は、まるで絵画のような美しさをずっと保っていた。週刊連載
アレをやれたマンガ家を、僕は矢口高雄の他に知らない。三平の連載が終
わってからも矢口高雄から卒業することは出来ず、手に入る短編や書籍、
画集なども片っ端から手に入れ、貪るように読んだ覚えがある。だから、
2001年に三平が「平成版」として復活した時は、本当に嬉しかったのだ
けど・・・。

先生、三平くんの話はまだ未完なんですよ。
この壮大な作品の最後が読めないなんて、本当に耐えられない。だから、
アチラでもしっかり構想を練り、なんなら書き進めておいてください。
新作を、楽しみに待っています。

また必ず、どこかで。