Godfather of R&R

#ロックンロールの創始者


昨夜届いた訃報
時間の流れから考えればもう仕方の無いことなのだけど、やっぱり心にちょ
っとしたパニックが起こった。

リトル・リチャード逝去。死因は癌。享年87歳
↑↑は氏の代表曲「Long Tall Sally」。いや、「のっぽのサリー」と言った
方が通りが良いかもしれない。僕がこの曲を知った頃には既にローリング・
ストーンズを知っていた。故に、ルーツミュージックを巡って出会ったワケ
ではなく、別のルートで知っていた、ということ。

大好きだった先輩はいわゆるヤンキーだったけど、僕には優しかった。
彼女は原宿のホコ天でこういう曲を踊っていて、ソレ用のテープを貸してく
れた。彼らの仲間には入れないけど、こういうオールデイズタイプの曲は嫌
いではなく、何度か繰り返し聴いた。その中で、いちばん印象に残っていた
のが、この「のっぽのサリー」だった。

その後、ストーンズのルーツミュージックとしてビル・ヘイリージェリー
・リー・ルイスと共にリトル・リチャードも聴いたのだが、この曲だけは
う思い入れがある。それを生みだしてくれたロックンロールの創始者には、
感謝しか無い。

今まで健在であった、という事実に感謝。
まだ観ていないリトル・リチャードのライブを、いつか必ず観たい。
また必ず、どこかで。

ケンドー・ナガサキ

#剣道鬼


深夜になって飛び込んできたニュース。
「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラーの
桜田一男氏が死去。死因は不明だが、心臓ペースメーカーの故障が
原因との情報も。享年71

日本プロレスの時代から活躍したいわゆる「職人」タイプのレスラー。
オリエンタルギミックで海外でも活躍したが、日本では「喧嘩日本一」
の異名を取るほど実力で一目置かれた選手だった。

昨年自伝を出したばかりであり、今年新日本のドーム裏で行われたコ
ンベンションにも元気な姿を見せていたという。昭和の名選手がまた
一人逝った。

個人的に印象深いのは、ドラゴン・マスターの名前でFMWに1度だけ
参戦した時の試合。手加減の全く無いイス攻撃戦慄した覚えがある。
あんなに強い人でも、やっぱり死んじゃうんだよなぁ・・・。

ご冥福をお祈りします。
あの恐ろしさに溢れたイス攻撃を、また必ずどこかで。

青木篤志

#閃光


朝のニュース配信を見て、思わず目を疑った。
「プロレスラー・青木篤志さん、交通事故死」・・・。

何がなんだか解らなくなった。
NOAHでデビューした頃から試合を観ている選手であり、全日本系の選手の
中ではあまりに異質なストロングスタイル。センスは当時から抜きん出てお
り、こんな選手が新日本でデビューしてたら・・・と何度も思った。

青木は現役世界ジュニアヘビー級チャンピオン
ようやく調子が上向いてきた今の全日本プロレスだが、その要因を作った
主要人物の一人であり、今後ももっともっと活躍しなければならない選手。
どうして・・・。

だから僕は神を信じない。
こんな仕打ち、あんまりじゃないか・・・。

SILVER KING

#ロス・カウボーイズ


そんな馬鹿な・・・と思った。
5月11日、英国・ロンドンで行われた大会にて、フベントゥ・ゲレーラ
のシングルマッチを行っていたシルバー・キングが、試合中の心筋梗塞
死去。享年51・・・。

ついこの間、後楽園ホールで試合を観たばかり。
コンディションの良さに驚かされ、相変わらずルチャドールとしては珍し
「強さ」を前面に出した試合を魅せてくれた。まさかシルバーが、こん
なにも早く逝くなんて・・・。

ロス・カウボーイズは最高のタッグチームだった。相棒のエル・テハノは、
きっとアッチで怒っている筈。なんでこんなに早くコッチへ来たんだ?と。
僕らも呆然とするしかない。だって、あのシルバー・キングなのだから。

どうして・・・という思いが本当に・・・。
せめて最高のルチャドールの一人であるシルバーの行き先が、すばらしい
世界でありますように。また必ず、どこかで。

シルバー・キング
父はドクトル・ワグナー。19歳の時にドクトル・ワグナー・ジュニアとし
て全日本プロレスに初来日。ユニバーサルプロレスにロス・カウボーイズ
として参加し、一躍人気レスラーに。2001年には新日本プロレスに3代目
ブラック・タイガーとして来日し、ケンドー・カシンとタッグを組んだ。
2008年、中嶋勝彦を破って世界ジュニアヘビー級王者に。最後の来日は
2019年3月14日・後楽園ホール「Lucha Libre Estrella Fiesta」。

※現役のまま生涯を終えた故人に敬意を表し、敬称を略させていただきました。

遠藤ミチロウ :THE STALIN

#吐き気がするほどロマンチックだぜ


「スターリン! スターリン! スターリン! スターリン! ・・・」

僕が初めて自分で選択し、プレイガイドでチケットを購入し、足を運んだ
ライブ会場は後楽園ホール。その後に足繁く通うことになるこの会場で初
めて耳にしたのは、劈くような観客のスターリンコールだった。

開演前から客席のボルテージがハッキリと「ヤバい」
爆竹が飛び交い、モッシュが自然発生する会場の雰囲気にたまらず主催者
が舞台に登場し、誰も耳を貸さない状況で説明を行う。観客が反応したの
は前座バンド・ラビッツの出演が発表された時。ほぼ全ての観客が「No」
を突きつけ、スターリンコールの大合唱。結局ラビッツの登場は見送られ、
早々にカリスマが姿を現した。

・・・衝撃だった。
あの時の僕が体験したのはコンサート、いや下手すれば音楽ですらなく、
圧倒的な「PUNK」だった。その世界に魅入られ、足を突っ込んでしまっ
たらもう抜けられない。多感な時期の全てをパンク一辺倒で過ごしたのは、
スターリン・・・遠藤ミチロウの存在があればこそ、だった。

遠藤ミチロウは、遠い場所に行った。
僕の人生に大きな影響を与えてくれた人が、また一人居なくなった。
願わくば僕が同じ世界に行った時に、ミチロウがあの恐ろしい眼差し
パフォーマンスを繰り広げてくれていることを強く望む。

遠藤ミチロウ、日本最高のパンクバンド「THE STALIN」のボーカリスト。
2019年4月25日、膵臓癌に倒れる。享年68。
彼の存在は永遠に、アタマから輝いている