#R.I.P
・・・メチャクチャカッコイイんだよ、この人。
そこらへんのジャズシンガーが束になっても勝てない歌唱力・表現力。
おそらくどんなジャンルを歌っても、絶対に自分らしく、そしてカッ
コ良く仕上げることが出来たハズ。
偉大なる才能に、尊敬と感謝を込めて。
八代亜紀さん、また必ず、どこかで。
#R.I.P
・・・メチャクチャカッコイイんだよ、この人。
そこらへんのジャズシンガーが束になっても勝てない歌唱力・表現力。
おそらくどんなジャンルを歌っても、絶対に自分らしく、そしてカッ
コ良く仕上げることが出来たハズ。
偉大なる才能に、尊敬と感謝を込めて。
八代亜紀さん、また必ず、どこかで。
#チャンドラー・ビング
突然の訃報。
米国の俳優、マシュー・ペリーが、自宅の浴槽で死亡した模様。
享年54。
伝説の米国ドラマ『フレンズ』のチャンドラー役としてあまりに有名。
僕の中でフレンズは特別なドラマであり、何度心を救われたか解らな
いほど。その中でもチャンドラーは、最高にキュートなキャラだった。
さすがに少し、文句がある。
彼の「天才ぶり」は、もっともっと世に認知されるべきだったし、彼
ならフレンズよりもっと凄いコメディをクリエイト出来た筈。死ぬに
は早すぎる。昨年、フレンズのリユニオンが実現したばかりだったの
に・・・。
これでもう、この世でフレンズの最新作は観られなくなった。
この責任は、必ずアチラで取っていただける、と信じています。
だからまた必ず、どこかで。
・・・寂しいよ、本当に。
#THE FIEND
テリー・ファンクの訃報に続き、もう一つ、偉大な才能が無くなった。
WWE世界ヘビー級・ユニバーサルヘビー級両王座の元王者であり、唯一
無二と言って過言の無い個性の持ち主、ブレイ・ワイアット(ウィンダ
ム・ロタンダ)が急死。死因はハッキリしていないが、おそらく心臓発作。
仮眠から起きることなくこの世を去った模様。享年・・・36。
日本でも有名なマイク・ロトンドの息子であり、WWEデビュー時から
そのセンスは卓越していた。アンコ型の地味な見た目なのに、奇怪過ぎ
る動きで恐ろしいまでの存在感を醸し出す。レスリングのテクニックも
一級品だった。
僕が唯一生観戦したレッスルマニア31で、アンダーテイカーと闘うワイ
アットを目撃出来たことは、幸運というしか無い。惜しむらくは、日本
で闘う機会が無かったことと、ワイアットが影響を受けた中邑真輔との
本格的な絡みが実現しなかったこと、か。
・・・さすがに早すぎる。
ワイアット絡みの夢のカードはまだまだたくさんあったのに・・・。
だからまた必ず、どこかで。FIENDの姿でもかまわないから。
#TEXAS BRONCO
WWEは8月23日、同団体のHALL OF FAMERである“テキサスの荒馬”こと、
テリー・ファンクの逝去を発表。詳しい死因は今のところ明らかになって
いないが、近年は認知症の治療を受け、施設で暮らしていたらしい。
享年79。
第51代NWA世界ヘビー級王者。
兄であるドリー・ファンクJr.とのタッグチーム『ザ・ファンクス』は、
今や伝説となっている世界オープンタッグ選手権でのブッチャー&シーク
との死闘で大ベビーフェースとしてブレイク。83年に一度大々的に引退し
ているが、復帰後は『ハードコアの生ける伝説』として晩年までファイト。
世界中から愛されたプロレスラーである。
僕はワイルドスタイルのテリーが大好きだった。
状況を全く見ず、好き勝手に暴れているハズなのに、終わってみれば試合
全体がおもしろい。テリーと試合をすることで成長した選手も多々居る。
晩年のカリスマ懸かった格好良さはあまりに見事。こういう老人になりた
い、と心から思っていた。
これでやっと、引退試合が出来ますね。
あなたの希望したNo Holds Barred形式の試合で、アントニオ猪木と最高
の試合をしてください。でも、そんなに急がないで。出来れば僕も観に行
きたいと思っています。
だからまた必ず、どこかで。
#鋼鉄怪人
WWEのオフィシャルWebサイトによると、同団体のHall of Famerであり、
元WWF世界ヘビー級王者、“アイアン・シーク”こと、コシロ・バジリ氏が
逝去した模様。享年81。
アイアン・シークの存在を初めて知ったのは、テレ朝のワールド・プロレ
スリングの画面。アントニオ猪木の海外遠征時に、当時猪木が保持してい
たNWFヘビー級王座に挑戦した、凶器シューズを履いた中東人。その時は
ハッサン・ジ・アラブを名乗っていたが、数ヶ月後にアイアン・シークと
して新日本プロレスに来日した。
僕が何故この選手を強烈に覚えているのか、というと、新日本プロレスを
最初に観戦した時の参加選手だったから。坂口&長州の保持していた北米
タッグ選手権に、スーパー・デストロイヤーと組んで挑戦。いいところ無
くストレートで敗れたのだが、存在感は抜群。「ザ・昭和の外人レスラー」
というたたずまいが、本当にすばらしかった。
後に、ボブ・バックランドを破りWWF王者に。マクマホンJr.の全米進行
の足がかりは正にこの時であり、絶妙のタイミングでハルク・ホーガンに
タイトルを引き継いだ。この後もイラン人ギミックでWWFで活躍。
“仕事人”という言葉がしっくり来る、味わい深いバイブレイヤーだった。
注目すべきは、アイアン・シークがカール・ゴッチも認める『シュート』
でもあったこと。元々はアマレスの猛者であり、それも当然なのだが、あ
のご時世でイラン人ギミックを貫くには“強さ”が絶対に必要な要件。そう
言えば、Uインターの武道館で安生洋二と闘った時の迫力も見事だった。
偉大なパフォーマーにしてワーカー、そしてシューターでもあった稀有な
選手。アイアン・シークというプロレスラーが存在したことに、心からの
感謝を。また必ず、どこかで。