THE COBRA PV

Amazonプライムビデオで新しく配信された「有田と週刊プロレスと」、今週
のネタは“悲運のマスクマン”、あるいは、“謎のアストロノーツ”など、数多く
の異名を持つザ・コブラデビュー戦

有田氏曰く、「途中からプロモーションビデオになった」ことで伝説になった
デビュー戦、vsデイビーボーイ・スミス。これは僕もよく覚えている試合なの
だけど、間違い無く新日本の黒歴史(^^;)。まさかこのVTRは無いだろ、と思っ
てたのだが、普通にYouTubeにあった(^^;)。

問題のPVは07:17あたりから(^^;)。
改めて見れば、そこまでしょっぱい試合では無い気がするのだけど、そこは
やっぱり編集の力か? ダイジェスト部分無しで1試合観たら、やっぱり辛いの
かもしれない。

一応コブラの名誉の為に言っておくと、名勝負もあった。
最初の小林邦明戦、巴になったダイナマイト・キッド戦や2回目のスミス戦等、
新日本プロレスワールドあたりで探せると思うので、是非みて欲しい。

・・・間違っても最初のブラック・タイガー戦は観ないで欲しい(^^;)。

New MBP・セットアップver0.5

導入から一週間が経過したにもかかわらず、今日まで全く手つかず状態
新マシン、MacBook Pro 15インチ。少し時間が出来た時に一気にやろう、と
思っているのだけど、取り敢えずここまでしてみた。

まずはケース。薄さを生かすため、EJがやってたスキンシールの導入を考えて
たのだが、僕の場合マジで落とす可能性があるため、それなりに保護が効きそ
うなハードケースをチョイス。これまでに拘ってきたし、実は今回赤も購入
してたのだけど、考えた末に青のシースルーにしてみた。

そしてこの写真じゃ解らないけど、Retinaディスプレイ保護フィルムを貼った。
さらにキーボードカバーも載せたりしてみた。徹底的に大事にしよう、という
姿勢なのだけど、2年の付き合いが決まってんだよなぁ、このマシン(^^;)。

ソフトウェアのセッティングはまたこの後。
殆どクラウド系に移行してるから、そんなに手間はかからないと思うけど・・・。

Printoss

↑↑、正式な発売日が12月13日に決まったタカラトミーPrintoss
逆転の発想、というのはよくあるのだけど、コレはそれを更に逆転させちゃっ
たような商品(^^;)。

かんたんに説明すると、スマホに撮影した写真を表示させ、それをダイレクト
複写(つまり画面をレンズで写真に撮る)し、チェキのフィルムにプリント
する、という仕組み。

その一連になんの意味があるのか?と問われると、返す言葉も無い(^^;)。
データで写真を渡したく無いのなら、プリントして渡せばいいだけ。無理に
良さを探すのなら、まぁなんとか持ち歩けるくらいじゃねぇかと(^^;)。
この本体とチェキのフィルムを持ち歩く、というのがそもそも無理なんだけ
ど(^^;)。

ただ、こういうおもちゃに惹かれる自分が居るのも事実。
手に入れたところできっと数枚しかプリントしないし、持ち歩くなんて絶対
にしない、と確信出来るのに欲しい。これがタカラトミーマジック(^^;)。

そういえば幻のトイカメラ「ToLNe」も随分使って無いなぁ・・・。
ちょっと復帰させてみようかな・・・。

参考:プリントス(タカラトミー)

騙し絵の牙

▼騙し絵の牙 / 塩田武士

きっかけはテレビのワイドショー
我らが大泉洋を主役に「当て書き」した小説家が、当の大泉洋ちゃんと一緒に
テレビインタビューを受けているのを見て、コレは読まないと!と思った。
僕のバカぶりも大したもんだなぁ、と(^^;)。

作者は塩田武士
神戸新聞社将棋担当記者で、その経験を生かした将棋小説で世に出た男。

この作品、「主人公は大泉洋!」と公言している通り、編集者の主人公物ま
やら皮肉やら、どう読んでもどうでしょうの大泉(^^;)。田中真紀子先生
物まねまで出てくるのだから、この人もかなりのバカとみた。

でも、肝心なのはそこでは無い、と読んでいる内に気が付いた。
出版社内幕を描いた物語で、人間模様の渦があまりにも激しい作品。
大手出版社における雑誌編集長という立場とその仕事、そして現在出版業界
が置かれている危機的な状況がリアルに迫ってくる。いわゆるビジネス小説
を読んでいる筈なのに、ちょっとしたサスペンスを読んでいるかのような
緊迫感。塩田武士、バカのくせに天才なのかも・・・。

この作家、間違い無く僕にハマる
取り敢えずこれまでの著作を全て読んでみるところから初めてみよう。
偉大な才能に引き合わせてくれた、水曜どうでしょう大泉洋に感謝!

Give Me “FXXin’” Up

現場のBGMロールの中に混じってたのが↑↑この曲
コレが流行ってたのって、巡ってみたらもう30年以上前なんだから驚く(^^;)。

あの頃はこの曲が流れるような場所とか、この曲を好きな連中とか、そして
この曲自体とも真逆の場所で生きており、聴くだけで虫唾が走った覚えが。
30年経った今も全く好きな曲では無いけれど、十把一絡げのBGMの中の1曲
として耳に入ると、以前のような不快感は薄れている事が解った。

でも、やっぱり・・・。
この曲が流行ったから、日本における洋楽の進歩が5年くらい停滞した、と
今でも思う。コレをすっ飛ばしてハウスの時代が来ていたら、今僕が聴いて
いる音楽にかなり変化があったかもしれない。

くだらねえ曲だけど、そういう意味で重要なのかもね。
乗り切れなかったディスコ世代として、心からそう思う。